be2df5fec6503f0b70a62570ad734b4a_s昔祖母が脳梗塞になった時、私がリハビリをすることはおろか、見舞いに来ることも嫌がりました。孫である私の役割は「リハビリをすること」でも「見舞いに来ること」でもなく、祖母の思いは「ただただ元気でいてくれること」「孫として守りたい」という想いだったのではと思います。

その時私は、祖母の前では「療法士であるような素振り、助言はしないでおこう」と考えたのを覚えています。

 

さて、医療従事者が病気の理解が薄い家族様を、ポジティブに捉えることは少ないでしょう。「服薬をちゃんと管理してくれるのか」「リスクがあることをしないだろうか」など、心配はつきません。しかし、そういった家族さんの多くは、愛情に溢れていることが多いです。

もしかすると、大切な家族を「病人」として認めたくないあまりに病気の理解が進まないのかもしれません。

私たち医療従事者は、目の前の患者さんに起きている変化を「病気」が原因であると捉え、医療従事者が発する言葉や振る舞いは、対象者をいたわるように接することも多いでしょう。しかし、それは時に患者さんに対して病気であることをしらしめ、精神的に落ち込ませることもあります。そんな時に家族も同じように「病人」として接することを嫌だと思う人も少なくないはずです。

少なくとも私の祖母はそうでした。

家族は患者さんを病人として見ません、大切な「夫」「妻」「母親」「父親」として見ます。そのことは患者さん本人にとって幸せで救われることが大いにあるでしょう。

 

様々なリスクを考えることも医療従事者として大切ですが、その家族さんの病気の理解の薄さが「本人の幸せ」に繋がっていることもあるのではないかと思います。

私たち医療従事者は、時に家族の病気を目の前にしても「医療従事者の仮面」を完全に取り外すことができないこともあります。

それが家族にとって幸せなことなのか考えさせられることがあります。